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zoom RSS 湖畔吟を読んで「船を掘りに」−−−その3

<<   作成日時 : 2008/03/08 00:13  

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またもや書きかけで長いこと放置してしまいました。取り急ぎまとめて投稿しますので、今回も途中で終ります。「船を掘りに」の完結は次回です。

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◇それから一週間ほどたって、又西村先生にたにたしながらやって来た。
◇今度は沼向ふの方へ行かうと、高野山下から小船に乗って、対岸の岩井に至る。湖光夾涼甚だよし。葦や眞菰が沼べりにぼっさりと茂って、時々かいつぶりがひゆらひゆらとなく。両岸が森ばかりで、極めて僅かに人家が散在している。まだまだ町くさいところはない。
◇岩井に上がって、船は鎮守の社にあるときいて、坂道を登って行く。欅と椎の大木が空を覆うて、其の中に社殿が取り囲まれた処に着く。
◇船は社殿の横の石畳の上に載せてある。大きさは二間ばかりの一枚板で、船底に当る処だけが残ったのである。今まで見たものゝ中では一番小さいが、小さいだけに勘兵衛さんのいはゆる庭の置物には一番よさゝうな。村の有志が親切に社殿の入り口をあけて案内してくれた。
◇この社は平将門を祀って、将門神社と称する。この辺には将門の故蹟がすこぶる多い。今から「千五百年前将門の息女瀧夜叉姫その乳母奈手志古と共に沼をわたって、難をこの岩井に避け、ここで庵を結んで将門の後生を弔った」この船がすなわちその時姫を載せて来た船だらうと言はぬばかりの説明書が、船の上に掲げられてある。さうとは無論定めかねるが、さうでないとも言ひ切ることは出来ない。
◇岩井から鷲の谷までは十丁にも足らぬ。ここにはこの近在で知られた旧家染谷氏が在る。知らぬ仲ではないから寄って見ると、折よく主人も在宅で、よろこんで迎へてくれた。船を見に来た由を語れば、それでは私が案内しませうといふ。
◇行く行く染谷家が千葉家の出であって代々胤何がしと名のる事、戦国時代から此処に居城を構えて雄視していた事、その城跡が今の屋敷の地つづきになっていて、その辺を稲荷峠としょうする事、稲荷峠のつづきに城山と称ふる処があって、それが昔の城跡だったらうといふ事、この辺の高台は今こそ萬傾の青田を見下しているが、元はこの田が沼の入り込んだ所であったらしい事など、主人から聞きながら、その城山から稲荷峠を見てまはった。我孫子にも城山と称ふる処があって、その地つづきに稲荷峠がある。これを「トウカビョウ」と読むことも両方同じい。

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楚人冠先生の足跡を辿ろうと岩井から鷲野谷にかけて歩いてみた。この辺は我孫子側と違いかなり自然が残されている。ただ残念なことは霊園近くに大きなニュータウンが開発され、近辺の佇まいが変わってしまったこと。我孫子側から見るとこの辺だけ沼沿いの斜面林がごっそりと剥ぎ取られてしまっている。もっとも沼南側から見れば我孫子の方はもっと悲惨な状態だから文句を言えた義理ではない。
そこから離れれば野山や田畑に囲まれた豪壮な構えの旧家があちこちに見える。
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畑道を歩いていると梅の香りが漂ってくる。大木も多い、綺麗な紅梅がかたまって咲いていた。
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沼南の地にも東葛・印旛大師霊場があり昔から霊場巡りが盛んであったらしい。今も5月の頃に大師送りという行事が行われていると聞く。そんな霊場巡りの人のための指差し石があった。
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目指す将門神社は龍光院というお寺のすぐ隣りにあった。手賀沼沿いに来て養魚場のあたりから龍光院の案内看板に従い木立の中の道を入っても良い。

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将門神社の写真と船のことは次回完結編でご紹介することとします。

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友達はみんなカレシと一緒でかまってくれません…アタシと遊んでくれる人メール下さい☆ a.a-mai@docomo.ne.jp
りおな
2009/06/21 17:47

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